藤本久俊の経歴!裁判官から弁護士×2回という経歴がすごい!

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兵庫県の第三者委員会で委員長を務める弁護士の藤本久俊さんが話題ですね!

藤本久俊さんが、どんな経歴なのかが気になります!

今回は、藤本久俊さんのwikiプロフィールや経歴、学歴についてお届けします。

ざっくりまとめると…
  • 藤本久俊は東京大学出身の弁護士
  • 裁判官→弁護士→裁判官→弁護士という異例の経歴を持つ
  • 兵庫県の告発文書問題の第三者委員会・委員長を務めた

ぜひ、お読みください!

目次
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藤本久俊(弁護士)のwikiプロフィール

プロフィール
  • 氏名:藤本久俊(ふじもとひさとし)
  • 生年月日:1955年12月30日
  • 年齢:69歳
  • 出身地:兵庫県
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藤本久俊の学歴

学校・教育のイメージ画像

藤本久俊さんの学歴はこのようになっています。

  • 大学:東京大学
  • 中学高校:六甲学院

藤本久俊さんは、中高一貫教育の六甲学院で学びました。

その後、東京大学に進学、留年しましたが、大学在学中に司法試験に合格しています!

学生時代に貧困地域の活動に深くかかわったことが、藤本さんを法律家へと導きました。

藤本久俊さんの大学時代や高校時代などについて詳しくはこちらをお読みください▼

藤本久俊の経歴:裁判官~弁護士

経歴のイメージ画像

藤本久俊さんは裁判官から弁護士、また裁判官に戻り、現在は弁護士として活動しています。

1982年:裁判官

藤本久俊さんは、大学在学中の貧困地域での活動を経て、法律家になることを志しました。

最初は弁護士になるつもりだったんだって!

藤本さんは、司法修習の間に「弁護士だけではなく裁判官としてもできることがある」と感じ、裁判官になりました。

東京地裁、神戸地裁、大阪地裁などに勤務しました。

1988年:弁護士

1988年に藤本久俊さんは、裁判官を退職しました。

この退職の理由は

  • 母親が亡くなり、父親が「しんどい」と裁判所に電話をかけてくるようになり、転勤生活が耐えられなくなった
  • 判決を言い渡すだけの裁判官が「言いっ放し」と感じるようになった

というものです。

藤本さんの父親は長年保護司をなさっていて、その活動を思うと「判決を言ってるだけの自分はどうなんだろう?」と考えたのだそうです。

退職した藤本さんは大阪の事務所に6年間勤め、その後芦屋で弁護士事務所を開きました。

この事務所には万引きをした女性やマンションが近所に建つことが心配な方など、いろいろな方が飛び込み出来たそうです。

藤本さんは

  • 犯罪の多くは、貧困が原因であることを思い知らされた
  • 彼らと接し、もう一度しっかり考えようと思った
  • 本当に勉強になった
  • 楽しかった

と話しています。

こんな弁護士さんが近所にいたらいいな…

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2002年:裁判官

藤本久俊さんは、もう1度裁判官になっています。

当時、法曹界で

  • 裁判官がキャリアだけで構成されてていいのか
  • 実際の社会を知っている者こそ裁判官になるべきではないか
  • 弁護士経験者が裁判官になるべきではないか

という運動が起こったのだそうです。

そんな中、日弁連などから声がかかり、藤本さんは再び裁判官になりました。

藤本さんは、福岡高裁、大阪高裁、大津地裁などに勤務しています。

この時は、弁護士として直接聞いた声を、最初に裁判官になったときより重く受け止めることが出来たようになった、と語っています。

藤本久俊
弁護士の苦労がよくわかる、現場のことも多少はわかる、それだけにしっかり受け止めないといけないという気持ちが深まったことが弁護士経験が生きた点と思います

弁護士の経験が活かされたんだね!

2008年:弁護士

藤本久俊さんは、2008年に裁判官を退職し、弁護士に戻っています。

現在、勤務されているのは「弁護士法人アーネスト法律事務所」です。

弁護士法人アーネスト法律事務所

住所:兵庫県神戸市中央区熊内橋通7-1-13

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